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太宰治『ヴィヨンの妻』——三鷹・吉祥寺と、もう一人の「ヴィヨン」


太宰治『ヴィヨンの妻』——三鷹・吉祥寺と、もう一人の「ヴィヨン」

太宰治と三鷹は、切っても切れない関係にある。

太宰が三鷹に移り住んだのは1939年。戦時中の疎開を挟みながら、この土地を生活と執筆の拠点とした。『走れメロス』『斜陽』『人間失格』など、代表作の多くがこの時期に書かれている。

そして三鷹で太宰を考えるとき、隣町の吉祥寺も重要な場所になる。

吉祥寺が登場する作品の一つが、『ヴィヨンの妻』である。

『ヴィヨンの妻』とは

『ヴィヨンの妻』は、1947年に発表された短編小説だ。

語り手は、詩人・大谷の妻である「私」。

大谷は酒に溺れ、家を空け、女性関係にもだらしがない。ある夜、馴染みの飲食店から金を盗んで逃げてくる。

事情を知った妻は、夫の借金を返すため、その店で働き始める。

悲惨な話だが、作品は不思議と暗くない。

妻は夫の行状に振り回されながらも、外へ出て働くことで、それまでとは違うたくましさを見せる。どうしようもない夫と、その夫と生きる妻。その関係を、太宰は善悪や幸福・不幸といった単純な物差しに回収せずに描いている。

『ヴィヨンの妻』と吉祥寺

この作品を三鷹周辺の文学として読むと、吉祥寺の存在が浮かび上がる。

太宰自身、三鷹で暮らしながら吉祥寺にも足を運んでいた。現在でも三鷹と吉祥寺は中央線で一駅、歩ける距離にある。

太宰にとってこの一帯は、小説の舞台である以前に生活圏だった。歩き、酒を飲み、人と会い、家へ帰る。その日常の地理が作品にも入り込んでいる。

ただし、太宰の小説をそのまま実生活の記録として読むことはできない。

そこで気になるのが、タイトルの「ヴィヨン」である。

「ヴィヨン」とは誰なのか

ヴィヨンとは、15世紀フランスの詩人フランソワ・ヴィヨンのことだ。

フランス文学史を代表する詩人である一方、その生涯はかなり荒れている。暴力沙汰や窃盗事件に関わり、投獄され、死刑判決も受けた。のちに追放刑へ減刑され、その後の足取りは分かっていない。

作中の大谷も詩人であり、酒を飲み、金銭問題を起こし、女性関係にも問題を抱える。

『ヴィヨンの妻』というタイトルは、それだけで大谷がどんな男なのかを示している。

ヴィヨンと太宰治

ヴィヨンと太宰の共通点は、破滅的な生き方だけではない。

二人とも、作品と実人生との距離が近い。

ヴィヨンの詩には、貧困、犯罪、死への恐怖など、本人の人生を思わせるものが現れる。

太宰も同じだ。酒、女性、自殺、借金、自己嫌悪。太宰の経歴を知って作品を読むと、「これは本人のことではないか」と思う場面が少なくない。

だから、二人の作品は作者自身の告白として読まれやすい。

しかし、作品の中の「私」と作者本人は同じではない。

実際の経験を材料にしていても、書かれた時点でそれは作品になる。何を語り、何を語らないか。どういう順序で語り、どんな言葉を選ぶか。そこには作者の操作がある。

太宰の場合、その操作が巧みだからこそ、作中の「私」が太宰本人に見える。

ヴィヨンにも同じことが言える。

二人の作品では、作者と作中の「私」が近接している。しかし、重なってはいない。


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