武蔵境にある日本獣医生命科学大学。その歴史をさかのぼると、明治初期の陸軍の馬医学教育に行き着く。そこには、フランスから来た獣医アウギュスト・アンゴーの姿がある。
フランスの獣医と、武蔵境の学校。その間をつないでいるのは、どのような人々なのだろう。
軍馬を守るための教育に、フランスの獣医が加わる
明治初期、陸軍では軍馬の健康を守る専門家の育成が求められていた。1873(明治6)年には全国から馬医生徒を募集し、馬医学の授業を開始する。馬の病気やけがに対応できる人材を育てる必要があった。大学付属博物館「大学史の紹介4」
その翌年、日本陸軍の招きで来日したのがアンゴーである。フランスのトゥールーズの獣医学校で学んだ彼は、陸軍の馬医生徒への教育に携わった。日本ウマ科学会の獣医学史解説
アンゴーが来る前から、日本側では人材を育てる取り組みが始まっていた。そこにフランスの獣医学を学んだ教師が加わった、と見ると、この交流の姿が少し具体的になる。
教師だけでなく、教育を支えた人々をたどる
陸軍の馬医教育に関わった日本人の経歴を追うと、後の学校創立とのつながりが見えてくる。
馬医の養成に深く携わった深谷周三は、後に私立獣医学校の教員となり、私立日本獣医学校の初代校長を務めた。また、フランス人教師の通訳として関わった荒井義通も、後に私立獣医学校の校長となっている。大学付属博物館「大学史の紹介4」
外国人教師が何を教えたか。それだけでなく、その教育を誰が支え、後にどこで教えるようになったか。学校の歴史を考えるには、こうした人々の移動にも目を向ける必要がありそうだ。
馬医学舎の卒業生が、私立の学校をつくった
1875(明治8)年、陸軍病馬院内に馬医学舎が設置された。その卒業生のなかから、私立の獣医学校を設立する人々が現れる。
1881(明治14)年、黒瀬貞次や田沢直孝ら9人の青年獣医官が、日本初の私立獣医学校を創立した。現在の日本獣医生命科学大学の前身である。開校当初は、小石川の護国寺境内の一画を借りて授業が行われた。大学付属博物館「大学史の紹介2」、「大学史の紹介3」
ここで目を留めたいのは、学んだ人々が、今度は教える場をつくったことである。
私はこの歩みを、海外の専門知識を受け取った歴史としてだけでなく、それを伝える場を日本でつくっていく歴史として読んでみたい。アンゴーの教育活動と学校の創立をつなぐ手がかりは、陸軍の馬医教育という場と、そこに関わった人々の経歴にある。
護国寺から、武蔵境へ
ただし、学校がそのまま順調に成長したわけではない。その歩みには、閉校や再興もあった。大学付属博物館による学校史の説明
大学の公式年表によると、1892(明治25)年には市ヶ谷加賀町へ移転し、特別認可私立「東京獣医学校」と改称した。1896(明治29)年には市ヶ谷河田町へ、1911(明治44)年には目黒へ移り、「日本獣医学校」となった。大学公式年表
そして1937(昭和12)年3月、日本獣医学校は武蔵境へ移転する。この移転に際して、旧東京市麻布区役所の木造庁舎も校地へ移築された。大学公式年表、武蔵野市による旧麻布区役所庁舎の解説
護国寺の一隅で始まった学校は、閉校と再興、幾度もの移転を経て、武蔵境に学びの場を構えた。日本獣医生命科学大学では、一般向けや学生向けの公開講座・特別講座として、不定期でフランス語講座などの語学講座を開催している。

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