なぜ日本人はマリー・アントワネットが好き?――フランス展から『ベルばら』、そして大泉学園へ


フランス展を歩いていると、日本人が思い描く「フランスらしさ」が、さまざまな形で並んでいることに気づく。

焼きたてのパン、色とりどりのマカロン、チーズやワイン。美しい刺繍やレース、香水、アンティーク。

そうした華やかなイメージをたどっていくと、たびたび一人の女性に行き着く。

マリー・アントワネット。

18世紀を生き、フランス革命のなかで37歳の生涯を終えた王妃が、なぜ200年以上たった日本で、これほど人々を惹きつけているのだろう。

その理由は池田理代子の『ベルサイユのばら』だ。

『ベルサイユのばら』が描いた王妃

日本で広く知られているマリー・アントワネット像には、いくつかの要素がある。

豪華なドレスに身を包んだ王妃。美しいものを愛した女性。フェルゼンとの悲恋。そして、時代の波に翻弄され、最後には断頭台へ向かった悲劇のヒロイン。

こうしたイメージが日本に広まるうえで、大きな役割を果たした作品の一つが、『ベルサイユのばら』だろう。

『ベルばら』は1972年、『週刊マーガレット』で連載を開始した。フランス革命を背景に、マリー・アントワネットやフェルゼン、架空の人物オスカルらの人生を描いた作品である。

池田理代子がマリー・アントワネットに出会ったのは、マンガより先に文学を通してだったという。

高校生のころ、シュテファン・ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を読み、その生涯に感銘を受け、いつか作品にしたいと考えた。

ヨーロッパで書かれた一冊の伝記が、日本の一人の高校生の心を動かす。その少女がやがてマンガ家となり、フランス革命を描く。そして、その作品を読んだ多くの日本人が、ベルサイユやマリー・アントワネットに魅了されていく。

一冊の本から始まった関心が、マンガを通じて新たな文化の流れを生み出したのである。

1972年、少女マンガが向かったヨーロッパ

『ベルばら』について調べていると、連載が始まった1972年という時代にも目が向く。

当時の日本では、少女マンガの表現が大きく広がりつつあった。恋愛だけでなく、歴史、社会、自由、家族、女性の生き方まで、さまざまなテーマが描かれるようになっていた。

そのなかで、ヨーロッパは重要な舞台の一つになっていく。

今なら、パリの街角もベルサイユ宮殿も、スマートフォンですぐに見ることができる。しかし1970年代、ヨーロッパは今よりずっと遠い世界だった。

だからこそ、少女マンガは読者を海の向こうへ連れていく力を持っていた。

フランス革命のベルサイユへ。古いヨーロッパの街へ。貴族の館や寄宿学校へ。

そこに描かれたのは、華やかな衣装や恋愛だけではない。身分の違い、家族との関係、社会の制約、自由を求める心、そして「自分らしく生きるとは何か」という問いだった。

日本の日常から遠く離れた世界を舞台にしたからこそ、現実を別の角度から見つめる物語が生まれたのかもしれない。

大泉学園に集まったマンガ家たち

この時代の少女マンガを考えるとき、東京西部武蔵野台地にある大泉学園は欠かせない。

西武池袋線の大泉学園には、当時、萩尾望都や竹宮惠子ら若いマンガ家たちが集う場所があった。後に「大泉サロン」と呼ばれるようになる場所である。

そこではマンガについて語り、映画を見、本を読み、新しい少女マンガの表現が模索されていた。「少女マンガのトキワ荘」と呼ばれることもある。

『ベルばら』の登場と同じ1972年ごろ、ここでも若いマンガ家たちがヨーロッパに目を向けていた。

竹宮惠子や萩尾望都らは1972年にヨーロッパを旅している。その後、竹宮は19世紀末のフランスを舞台に『風と木の詩』を描き、萩尾もヨーロッパを舞台にした作品を数多く生み出していく。

『ベルばら』と大泉サロンは別の場所で生まれた作品や活動だが、1970年代初頭の少女マンガには、遠いヨーロッパを舞台にして、現実の社会や人間の生き方を描こうとする大きな流れがあった。

マリー・アントワネットは「文化的アイコン」になった

こうしてマンガのページを通じて日本に広がったヨーロッパへの憧れは、現在のマリー・アントワネット像にもつながっている。

マリー・アントワネットは、もはや歴史の教科書のなかだけにいる人物ではない。

ドレス、リボン、薔薇、お菓子、香水、インテリア――。

「マリー・アントワネット」という名前そのものが、一つの美意識や世界観を表すようになっている。

もちろん、実在した王妃と、後世につくられたイメージは同じではない。

私たちが思い浮かべるマリー・アントワネット像は、肖像画や伝記、映画、ファッション、そして『ベルサイユのばら』など、さまざまな表現が重なってできたものだ。

そのことを象徴するように、2026年の「マリー・アントワネット・スタイル」展では、『ベルサイユのばら』とのコラボレーションが行われ、オスカルが「近衛応援隊長」に就任している。

実在した18世紀の王妃の展覧会を、日本の少女マンガから生まれた架空の近衛士官が応援する。

なんとも不思議な組み合わせだ。

しかし、それこそマリー・アントワネットが、国境や時代を越え、何度も新しい物語をまとってきた「文化的アイコン」であることの表れなのかもしれない。

フランス展から、大泉学園へ

フランス展で感じた小さな疑問。

なぜ日本人は、こんなにマリー・アントワネットが好きなのだろう。

その答えをたどっていくと、『ベルサイユのばら』に行き着く。さらに1970年代の少女マンガを見ていくと、ヨーロッパへの憧れが、新しい表現や物語を生み出していたことがわかる。

そして、その流れを考える途中で、思いがけず大泉学園という身近な場所が現れる。

1970年代初頭の日本では、遠いフランスやヨーロッパが、少女マンガを通じて身近な物語の舞台になっていった。

そのなかでマリー・アントワネットは、歴史上の王妃であると同時に、美しさ、悲劇、自由への憧れ、そして異国への夢を背負う存在になった。

半世紀以上たった今も、フランス展で薔薇や美しいお菓子を目にすると、どこか胸がときめく。

その「フランスらしさ」のなかには、歴史上のフランスだけでなく、日本で長い時間をかけて育てられてきたフランスへの憧れも混ざっているのだろう。

そう考えると、大泉学園からベルサイユは、案外遠くない。


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