学校を封鎖するフランスの高校生は、大学受験で不利にならないのか?――大人と交渉する教育


フランスの高校生による学校閉鎖活動のニュースを見ていると、気にならないだろうか。

「この子たち、大学受験は大丈夫なの?」

学校の入口をふさぎ、授業を止め、デモに参加する。

日本なら、欠席や調査書、推薦への影響を心配する保護者も多いだろう。

調べてみると、フランスでも驚くほど事情は違わなかった。

高校生には出席義務がある。抗議活動に参加したからといって、自動的に公欠になるわけではない。大学進学では成績も重要だ。

今回、高校生たちの批判の対象にもなっているParcoursup(パルクールシュップ)は、フランスの大学進学出願システムだ。進学競争のプレッシャーや教育格差を強める仕組みだとして、廃止などを求める高校生もいる。

Fiche Avenir(フィッシュ・アヴニール)は、その出願時に高校側が作成する評価資料で、成績に加えて学習姿勢、自主性、取り組み、活動・責任などが進学先に伝えられる。

もちろん、学校を封鎖したから大学入試で評価される、という制度はない。

では、何が違うのだろう。

調べていて興味深かったのは、高校生が学校について意見をまとめ、代表を選び、大人と交渉することが、学校教育の正式な仕組みとして位置づけられていることだった。

高校生は、なぜ学校を止めるのか

2026年秋、フランス各地の高校で学校閉鎖活動が広がった。

高校生たちが訴えているのは、教員不足、学校職員や保健スタッフの不足、過密学級、老朽化した校舎、過密な時間割、教育格差、大学進学制度などの問題である。

中でも深刻なのが教員不足だ。

担当教師が不在になっても代わりが配置されず、授業が長期間行われないことがある。

高校3年生には卒業試験と大学進学が待っている。

そこで、

「このまま何週間、何か月も授業がないより、数日間学校を止めてでも教師を配置してもらいたい」

という考え方が出てくる。

学校を止めているのに、その要求の一つは、

「ちゃんと授業を受けさせてほしい」

なのである。

バリケードの後ろにいる高校生たち

もちろん、フランスの高校生全員が学校を封鎖しているわけではない。

10月1日には1,020校を超える高校が抗議活動などの影響を受けたとされたが、実際に学校閉鎖活動が行われたとされたのは222校だった。

集会だけの学校もあれば、一部を封鎖した学校もある。

同じ学校でも、生徒の考えは一様ではない。

積極的に抗議する生徒がいる。要求には賛成しても学校閉鎖には参加しない生徒もいる。普通に授業を受けたい生徒もいる。学校側から登校しないよう指示され、自宅で課題や遠隔授業に取り組む生徒もいる。

保護者はどうだろうか。

保護者団体FCPEは、高校生が他の生徒を説得して運動への参加を呼びかけることはできても、暴力を使って通行を妨げてはならず、学校に入りたい高校生は入れるようにすべきだとしている。

一方で、教員不足など高校生の要求は、保護者側が以前から訴えてきた問題とも重なるとして、学校や政府には若者の声を聞き、対話するよう求めている。

つまり、「要求を支持すること」と「学校を封鎖する方法を支持すること」は同じではない。

抗議活動をしたら「内申」は悪くならないのか

先述したFiche Avenirは高等教育機関に送られて選考に使われ、本人も後から内容を確認できる。

フランスのグランゼコール準備級(CPGE/prépa)を目指す高校生や在学生らが情報交換する民間コミュニティWikiPrépa(ウィキプレパ)では、Fiche Avenirの評価について受験生や保護者が情報交換している。

では、抗議活動はどう評価されるのだろう。

Fiche Avenirには、政治的な主張そのものを評価する項目はない。

一方、生徒代表などとして責任を持って活動した経験は、「自主性」や「活動・責任」として評価される余地がある。

反対に、抗議活動に伴う欠席や学校規則違反は、それとは別の問題になる。

つまり、

「どんな政治的意見を持っているか」と、「学校生活の中で実際に何をしたか」は分けて考えられている。

学校に抗議したから一律にマイナスになるわけでもなければ、政治活動をしたから一律にプラスになるわけでもない。

意見の違う人と話し合うことを、高校生のうちから経験する

ここでもう一つの制度に注目したい。

フランスの高校では、各クラスで生徒代表を選ぶ。さらに学校全体にも、生徒が学校生活について意見を出す代表組織がある。

生徒代表の仕事は、単に「自分の意見を言う」ことではない。

他の生徒の話を聞く。

意見を集める。

それを整理する。

学校側と話し合う。

会議で発言する。

そして、話し合った結果を生徒たちに伝える。

つまり、自分の主張を通すだけではない。

異なる意見を聞き、それをまとめ、大人の前で説明し、話し合い、その結果を再び仲間に返す。

そこまで含めて、生徒代表の経験なのである。

ただし、ここは分けて考えなければならない。

学校閉鎖のリーダー=生徒代表、ではない

正式な生徒代表が、そのまま学校閉鎖を指揮しているわけではない。

今回の運動はかなり分散している。

正式な生徒代表が関わる場合もあれば、高校生団体のメンバーが中心になる場合もある。SNSを見て参加する生徒もいれば、その学校で自然に中心人物が現れることもある。

全国規模の高校生団体になると、代表者が教育相と直接会談することもある。

高校生が要求をまとめ、政府に説明し、メディアの取材を受ける。

重要なのは、その高校生が将来政治家になるかどうかではない。

高校生が自分たちの問題について意見をまとめ、大人と交渉する経験そのものが、学校生活の中に存在していることだ。

ニュースになるのは、交渉よりバリケード

ニュースになるのは、燃えるゴミ箱である。

バリケードである。

警察との衝突である。

しかし、生徒がクラスメートの意見を聞いている場面はニュースにならない。

代表が意見を整理している場面も映らない。

校長と話し合っている時間もニュースにはなりにくい。

自宅で卒業試験の勉強をしている高校生は、なおさら映らない。

だから日本からニュースを見ていると、

「フランスの高校生は学校を封鎖して政府と闘う」

という姿が強く残る。

もちろん、それも現実の一部である。

でも、その背景にはもっと地味な学校生活がある。

意見を聞く。

代表を選ぶ。

要求をまとめる。

大人に説明する。

交渉する。

そして、その結果を仲間に伝える。

燃えているゴミ箱の後ろには、高校生が大人と交渉する文化と、それを経験させる教育の仕組みがある。


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