武蔵野の雑木林は、昔からそこにあった。
では、それを美しいと思う眼も、昔からあったのだろうか。
国木田独歩の『武蔵野』を読んでいると、そんなことを考える。
独歩が歩いたのは、深山幽谷ではない。東京の郊外である。
雑木林があり、畑があり、その間を道が通っている。秋になれば木々が色づき、やがて葉を落とす。風が吹けば梢が鳴る。
今なら私たちは、そんな景色を見て「武蔵野らしい」と思う。
けれども、その「武蔵野らしさ」は、いったいいつからあったのだろう。
武蔵野は二度発見された
もちろん、独歩以前にも武蔵野は知られていた。
むしろ武蔵野は、古くから文学の中に存在していた土地である。
ただ、古典の中の武蔵野と、独歩が歩いた武蔵野はどこか違う。
かつて歌に詠まれた武蔵野には、薄が揺れ、萩が咲き、月が昇る。
独歩の武蔵野には、もっと雑然としたものがある。
林、畑、道、家。木々の間から差す光。落葉を踏む音。
名所というほどのものは何もない。
独歩が見つけたのは、そういう「何でもない武蔵野」だった。
だから、これは武蔵野の発見というより、武蔵野の再発見と呼んだ方がいいのかもしれない。
古典にも、武蔵野を見る眼はあった。
独歩の文章では、その眼が別のものへ向けられている。
風景は「発見」される
柄谷行人は『日本近代文学の起源』の冒頭で、「風景の発見」という問題を取り上げている。
不思議な言葉である。
風景なら、昔からあったではないか。
山も川も森も、近代になって突然出現したわけではない。
けれども考えてみれば、森はいつでも「風景」であるとは限らない。
薪を採る人にとっては仕事場である。村と村の間にある森なら、ただ通り抜ける場所かもしれない。恐ろしい場所だったこともあるだろう。
同じ森が、誰かの前に「眺めるべきもの」として現れる。
柄谷の議論を手がかりに、私は「風景の発見」を、まずそんなふうに考えてみたい。
そう考えると、独歩の『武蔵野』が少し違って見えてくる。
独歩が発見したのは、新しい土地ではない。
そこにずっとあったものを、風景として見る方法だったのではないか。
では、その眼はどこから来たのだろう。
ロシアの森を通って
『武蔵野』には、意外なほど遠い国の影が差している。
ロシアである。
独歩が親しんだツルゲーネフの『猟人日記』を読むと、森や野原が何度も現れる。
朝の空気。草の匂い。木々のざわめき。雲の動き。夕方の光。
もちろん人間が登場し、物語がある。
しかし私には、ときどき人間の物語よりも、森や空の方が長く記憶に残る。
ツルゲーネフの文章では、自然が物語の背景にとどまらない。
立ち止まって、それを見ているように感じられる。
そして、そのロシアの自然を日本語に移した人の一人が二葉亭四迷だった。
ロシアの森が、日本語になる。
その文章を読んだ独歩が、東京の外へ歩いていく。
そして武蔵野を見る。
そう考えると、『武蔵野』の雑木林は、少し不思議な場所に思えてくる。
日本の林なのに、その「見方」のどこかに、遠いロシアの森が重なっている。
そのころ、フランスでは
さらに時間を半世紀ほど戻して、ヨーロッパの反対側へ行ってみる。
パリの南に、フォンテーヌブローという森がある。
19世紀、この森の近くに画家たちが集まるようになった。
バルビゾン派である。
ミレーの名前はよく知られている。
しかし森ということなら、テオドール・ルソーの方が気になる。
ルソーはフォンテーヌブローの森を飽きることなく描いた。
森の入口。
古い樫の木。
沼。
夕暮れ。
そこでは、とくに何も起きていない。
英雄もいなければ、神話の神々もいない。
ただ木が立っている。
それをルソーは描いた。
一本の木が、絵の主役になる。
森そのものが、絵になる。
もちろん、ヨーロッパにはルソー以前から風景画があった。だからバルビゾン派が「風景を発見した」というのは正確ではない。
それでも、何でもない森や野原をじっと見るこの眼が、私は気になる。
なぜ、この森だったのだろう。
その背後では、パリが巨大になりつつあった。
鉄道が走り、工場が増え、都市が膨張していく。
私は、この都市の変化と、森へ向かう画家たちの眼を重ねて考えてみたい。
人間が自然から離れていくことと、自然を見つめることは、どこかでつながっていたのではないか。
もしそうなら、少し逆説的である。
身近に利用していた自然との距離が変わることで、それが「風景」として見えてくることもあったのかもしれない。
フォンテーヌブローは、世界の果てにある原生林ではない。
パリの外にある森だった。
その森へ画家たちは出かけていった。
フォンテーヌブローから武蔵野へ
ここで、ルソーからツルゲーネフ、ツルゲーネフから独歩へと、一本の矢印を引くことはできない。
この比較だけで、ルソーが独歩に影響を与えたと言えるわけでもない。
ただ、二つの風景を並べてみることはできる。
19世紀半ばのフランスでは、ルソーがフォンテーヌブローの木々を見ていた。
同じころロシアでは、ツルゲーネフが森や野を言葉で描いていた。
そして半世紀ほど後、ツルゲーネフを読んだ独歩が東京の外へ歩き、武蔵野を見る。
パリとフォンテーヌブロー。
東京と武蔵野。
二つを重ねてみると、少し似た構図が見えてくる。
大都市の外側に、森がある。
そこへ都市から人がやってくる。
そして、それまで誰も見たことがなかったわけではない木々の前で、立ち止まる。
何でもないものが、美しく見える。
絵画と言葉では、風景の表し方も違う。この構図が似ているからといって、同じことが起きたとは限らない。
それでも、都市から森へ向かう動きは、風景を見る眼を考える手がかりになるのではないか。
独歩の雑木林は、今どこにあるのだろう
では、独歩が見た武蔵野は今も残っているのだろうか。
百年以上の間に、東京ははるかに大きくなった。
かつて郊外だった場所には住宅が建ち、道路が通り、駅ができた。
それでも武蔵野を歩けば、ところどころに雑木林が残っている。
落葉樹の林に入り、乾いた葉を踏んで歩いていると、独歩が見た武蔵野もこんな場所だったのだろうか、と思うことがある。
けれども、ここでまた一つ疑問が出てくる。
この雑木林は、本当に「自然」なのだろうか。
調べてみると、武蔵野の雑木林は、人の手が入らない原生林とはまったく違う。
木を伐る。
薪や炭にする。
落葉を集める。
畑へ運ぶ。
人が繰り返し森に入り、利用することによって維持されてきた林だった。
私はここで、独歩の文章を通して眺めていた雑木林を、もう一度見直すことになった。
自然の景色だと思っていたものは、長い時間をかけて人間が作ってきた風景でもあった。
ここから先には、もう一つ別の武蔵野がある。
文学者が発見した武蔵野ではなく、農民が作り、江戸という都市が支えていた武蔵野。
それについては、また別に歩いてみたい。
武蔵野の雑木林は、昔からそこにあった。
しかし、その美しさが、昔から今と同じように見られていたとは限らない。
独歩が発見したものは、武蔵野ではなかったのかもしれない。
武蔵野を見る眼だった。

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